「命より大事なものはない」と言われることがあります。
では、二つの人生から、どちらかを選ばなければならないとしたらどうでしょう。
一つは、120歳まで生きられる代わりに、狭い部屋から一歩も出ることができず、一生を終える人生。
もう一つは、70歳までしか生きられないけれど、好きな人と出会い、行きたい場所へ行き、やりたいことに挑戦し、自分らしく生きることができる人生です。
もし、命の長さが何よりも大切なら、私たちは迷わず監禁されても120歳まで生きられる人生を選ぶはずです。
しかし、多くの人はそうではないでしょう。
私たちが大切にしているのは、ただ長く生きることではありません。
「どれだけ生きたか」ではなく、「どう生きたか」。
命とは、長さだけで価値が決まるものではなく、何のために、どのように使ったかが大切なのだと思います。
「反始慎終(はんししんしゅう)」という言葉があります。
「反始」とは、自分の始まりに立ち返ることです。
私たちは、自分の力で生まれてきたわけではありません。
父と母がいて、その父と母にもまた父と母がいます。
十代さかのぼれば、2046人もの祖先がいます。その中の誰か一人が欠けても、今の自分はここにいません。
私たちの命は、多くの人から受け継がれてきた命です。
では、その大切な命を、ただ失わないように守っていればよいのでしょうか。
私はそうではないと思います。
受け継いだ命だからこそ、その命をどう使うのかが大切です。
何かに挑戦すれば、失敗することがあります。
一生懸命取り組んでも、思うような結果が出ないこともあります。
人と関われば、傷ついたり、悩んだりすることもあります。
それでも、自分で考え、自分で選び、失敗したらまた立ち上がり、自分の人生を生きていく。
そのために、私たちは命を与えられているのではないでしょうか。
親は、子どもに恩返しをしてほしくて育てているわけではありません。
自分がしてあげたことを返してほしいわけでもありません。
元気でいてほしい。
幸せになってほしい。
自分の可能性を簡単に諦めないでほしい。
そして、自分に与えられた人生を、自分らしく精いっぱい生きてほしい。
それが、多くの親の願いだと思います。
勉強も、そのためにあります。
良い点数を取ることだけが勉強の目的ではありません。
知らなかったことを知る。
できなかったことができるようになる。
失敗しても、もう一度挑戦する。
自分の可能性を広げ、将来、自分の人生を自分で選ぶ力を身につける。
勉強は、自分に与えられた命をより豊かに使うための一つの手段なのだと思います。
「反始慎終」。
自分の始まりに立ち返れば、そこには自分の誕生を喜び、幸せを願ってくれた人たちがいます。
そして「慎終」とは、その命を最後まで大切に使い切ることではないでしょうか。
ただ長く生きるのではなく、何を大切にし、何に挑戦し、誰と関わり、どんな人間になりたいのか。
子どもたちには、自分の命の始まりを知り、感謝するとともに、その命を何のために使うのかを考えられる人になってほしいと思います。
与えられた命を、自分らしく精いっぱい生きる。
それこそが、命をつないでくれた人たちの願いに応える生き方なのではないでしょうか。
